春は遠い。

今日メッセンジャーを起動したら、すきなひとがオンラインだった。オンライン状態を見かけたのはほぼ1ヶ月ぶり。この1ヶ月、ケータイメールは1度のレスだけ。あいかわらず、こんなふうにしか相手の"今"を知ることができない自分。どうしてか、ケータイの発信ボタンを押せずにいる。


なぜか、以下のテキストを思い出した。これを読んだのはもう2年も前のことだけど、すきなひとが変わっても、ずっとずっと心に引っかかって、ローカルに保存したまま。


> 欲しいものと、あげたいものをお互いに感じなきゃだ。

> 何ヶ月あの人と会っていないだろう。
> セックスするときは、欲しいものと、あげたいものを
> お互いに感じなきゃだ、とある人から言われて涙が出そうになる。
> あの人にあげたいものはたくさんあった。
> 欲しいものは一緒に過ごす穏やかな時間だけで良かった。
> あの人の弱い部分も、一生涯子どものままであろう内面も、
> 全部大事だった。今でも大事だ。
> では、あの人にとって私は何だったのだろう。
> 意味のある存在だったのだろうか。
> もう、ずっとずっと前に二人の関係は切れてしまったのかもしれない。
> 時々、それでも便りをやりとりするのは
> 私があの人の知的な必要性にとって便利な存在だからだけなのか。
> 少しは意味があるのか、私はあの人にとって。

(※よるねこの日々(現在は閉鎖)より抜粋)



ほんの少しでも近づけたような気がしたのは錯覚だったのだろうか。想えば想うほど距離が遠くなるような。想いを伝える機会も術もどんどん失われていくような。ため息が出る。



咲かせたい花の蕾はまだまだ固いようで。